日本人はなぜか自分たちを悪く縛るもの、例えば個人の抑圧や他人の監視には従順に服従するのですが、例えば温暖化を阻止するためにエアコンの利用を全員で控える、とか、投票率を上げるなど社会を良い方向へ導く行動には無頓着というか、無関心というか、良い方向に進むことに嫌悪感を感じている、とすら思う時がある。この思考は一体どこから来るのか?善悪の判断のセンサーが壊れてるのか?
五人組や隣組という自ら監視する拘束社会を良しとしたいのだろうか?
それとも、そういう制度に長らく縛られてきたので、ある意味、パブロフの犬的な条件反射で自らを監視、拘束する行動に馴染むのだろうか?
この劣性遺伝からの洗脳の脱却は、実は、教育しかないのです。
『学問は人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重の等差を知る、好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪の判断を誤らざる大丈夫が出来上がるのが目的である』
【夏目漱石/野分より】
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