私は憎しみは争いを生む、と言いました。
例えば杉田水脈に精神破綻者と言うことは憎しみを生みます。
そしてそれは争いになります。
しかし、どうでしょうか?
差別主義者に対して批判非難することは間違っていることでしょうか?
例えば身近な出来事で検証してみましょう。
お互いに快く思っていない者同士の片方が暴漢に襲われています。
あなたはその憎しみの相手を助けますか?
助けるか?助けないか?であなたの本性が顕になるのです。
例えば杉田水脈が強姦に襲われているのを見た時、助けますか?
私は助けたくはないが、助けざるを得ないでしょう?
例え、それを偽善と言われてもです。
なぜなら、私は憎しみ以上に善意や良心、そして慈愛を優先するように心がけています、そしてそれが平和的解決だと思っていますから。
それが私が差別主義者でない所以だと思っています。
私は差別主義者に善意と良心と滋愛をもって批判、非難します。
なぜなら差別は『人の生まれ持った自由をはく奪するから』です。
差別主義者と言われている人々は、私が暴漢に襲われた時、助けるでしょうか?
その疑心暗鬼が憎しにの連鎖なのです。
罪を犯していない人間が一人もいないことを考えれば、差別主義者にはなりません。
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