2023年11月11日土曜日

善悪の判断が変わる?

そういえば、以前ツイッターで「善悪の判断は変わる」故に善悪の基準などあてにならない、と言う批判を受けたことがある。

まぁ、ツイッターでもあるし、仔細に相手にするほどでもない(ツイッター内で反論できるほど簡単な問題ではない)と思い、即、ブロックしたのだが、果たして善悪の判断は変化するものだろうか?


例えば虚偽に関して検証してみると

私は以前、嘘には2通りあると言いました。

人を救う嘘(善)

そして

人を殺す嘘(悪)

この基準は変化するだろうか?

人を救う嘘、を以前の例で挙げたのが、「一切れのパン」と言う短編小説の中での出来事で、少し調べたらナチスドイツに捕まって脱走するユダヤ人の話であることが後々わかった。

相手を救うため、励ますために嘘をつくことが今の時代では悪なのか?

もし、それが悪と言うのなら、それはその『悪』そのものの基準ではなく、その『悪』に取り巻く周りの基準(環境)の変化(例えば戦争や、紛争、暴動、革命、腐敗、堕落など)によるもので『悪』そのものの基準が変化したわけではない。もし、その『悪』そのものの基準が変化するのであれば、それは既に『悪』とは呼ばないのだから、否、呼べないのだから。

例えば、相手を救うための嘘を悪と判断した時、その社会には『善』が存在しなくなる。なぜなら相手を救うための嘘は『善』であるのだから。

善が無くなれば当然、悪もなくなる、なぜなら悪と善は対比している言葉であり、片方が無くなれば、当然、片方も不要になる。

つまり、「相手を救うための嘘」自体がその社会では消滅してしまうのです。

それは『悪』の基準(概念)の変化ではなく社会環境の変化による『悪』の基準の変化に他ならない証拠です。


『悪』の基準は人が生まれてきた時から持っている同一で共通の価値基準であり、その価値を変化させるのは社会環境に起因するものなのです。

そして善悪の基準は絶対に変えてはいけないし、変わるはずもないのです。前にも書きましたが、それを変えることによって善悪そのものの存在が消滅するのですから・・・・。

そういう世界を『カオス』と言い、日本は今、正に『カオス』の渦中なのです。

なぜなら「善悪の判断は変わる」故に善悪の基準などあてにならない、と言う愚者が存在し始めているのですから。



0 件のコメント:

コメントを投稿

60歳という年齢

久しぶりのブログ更新です。 実は、書かなきゃ、書かなきゃ、と気になっていましたが、なかなか筆が進みませんでした。 やはり、60歳過ぎると体の彼方此方にガタが来て、朝、起きても腰の痛みやら、関節の痛みやらが抜けない状態です。 これが、60代以降と50代以前の違いでしょう。 60歳を...