2023年11月24日金曜日

聖書の中の「義」

日本人に正義観が欠落している理由は聖書の翻訳の瑕疵にあるのでは?と思うのです。

英語で正義は「Justice」ですが、

聖書には「Righteousness」との表記もあり、

聖書を翻訳した最初にJusticeと使い分けるためか?

Righteousnessをただのか「義」と訳してしまったのです。

然し日本語でただただ「義」と書かれてどんな意味を成すでしょうか?

広義、不義、義理、義務、義侠、etc

つまりただ単に義と書かれてもそれは色々な解釈が派生するのです。

確かに「義」だけでも、


条理。正しい道。道理にかなったこと。人道に従うこと。

と言う意味があるようですが、また

利害をすてて条理に従う。公共のために尽くす気持。

と言う解釈もあるようなのです。

利害をすすて条理に従うことが果たして正ことでしょうか?

ただただむやみに公共に尽くすことが正ことでしょうか?

つまり、ただ「義」と言う表記だけでは、それこそ広義に解釈され、広義に捉えられるのです。

故に聖書の中に出てくる「義」は必ず「正義」と読み替えなければいけません。

そうすればそれが「正しい道」と明確に判断できるのですから。

聖書に出てくる「義」は「正義」です。


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