地獄絵図とはよく見聞するが、天国絵図とはなかなか見ない。
地獄では毎日が苦痛らしい。
生きたまま手足を引き千切られる。
そしてそよ風が吹くと元通りになる。
元通りになった時に、その引き千切られた記憶はあるのだろうか?
その記憶がなければ、苦痛は一時的なモノで償いにも贖いにもならないと思う。
故に、私が思うにその苦痛の記憶が、肉体的苦痛と同時に精神的な苦痛を伴うことにより、そして、その苦痛の記憶が永遠に続くことによって、自らの罪の償いと贖いになるのだろう。
想像しただけでも恐ろしい、身震いしてしまう。
では天国はどんな営みが行われているのだろうか?
善人の集合体、良識者の集団、無罪の人々・・・。
『神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである』黙示録 21:4
うーん・・・・
死がなければ、生もない。
悲しみがなければ、喜びもない。
叫びもなければ、希望もない。
苦しみもなければ、楽しみもない。
生も、喜びも、希望も、楽しみもない、それが天国なのかな?
そよ風と言う安堵があることによって、苦痛が存在すように、
実は相対的なモノの存在が、相対的なモノを存在させているのです。
もしかしたら、今私たちが苦悩して生きている奇跡的(天文学的)な惑星が実は天国なのかもしれません。
なぜなら、全てにおいて相対的なモノが存在しているのですから。
私の奥さんは、労働(苦痛)の後のビール(そよ風)が人生の中で最高の美酒だと言います。同意します。
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