人は誰しも楽な方向に流れがちです。
当然、私もそうです。
故に現実逃避を行って快楽(酒やギャンブル、風俗など)に溺れがちです。
故に国はその快楽を極力、取り除く方向に国民を導かなければ、国民はますます現実から逃避します。
しかし、その現実逃避を個人の自由だとか、個人の権利だとか、その意味を履き違えてますます助長している輩が少なからず存在しているのです。
故に私はまず、自由とは?
という意味を理解すべきだと考えています。
夏目漱石は「私の個人主義」という演説の中で
「私は私の勝手に生きると同時に他人の道を妨げない」という表現で、個人主義の概念を説明しています。
実は個人主義というのは、自由主義と相通じるものがあるのです。
それは自由という概念を理解していれば自ずと派生するものなのです。
日本人の古くからの自由の概念は
「我儘、身勝手、気まま」と言った利己的な自由、つまり利己主義的な自由の価値観でした。
故に日本人は「自由」を否定する民族に陥ったのです。
しかし、よく考えてください。
私が自由であるためには、あなたも自由でなければ、私も自由になれないのです。
なぜなら私が私を不自由にすることによって、あなたにもその不自由を強いるのですから。
つまり
私が私を自由にすることは、あなたにも自由を強いるのです。
言い換えれば
私の自由があって、初めてあなたの自由が存在する
或いは
あなたの自由があって、初めて私の自由が存在する
と言えるのです。
これを更に言い換えると
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。
この言葉に集約されると思うのです。
なぜなら愛することはその人を決して束縛しないのです。
お互いを愛することがお互いを自由にすることになるのです。
※ここで言う愛とは男女の恋愛とは違います。すべてのものを愛する「慈愛」と受け止めてくれるといいでしょう。
自由を履き違えるととんでもなく堕落した幼稚で未熟な現実を全く見れない国家に成り下がってしまうのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿