2023年9月23日土曜日

自由をはき違えると?追記

昨日のブログの追記です。


私が私を不自由にすることによって、あなたにもその不自由を強いるのですから、

という言葉を書きましたが、ちょっと言葉を変えます。

私が私を不自由にすることによって、あなたも不自由にならなければいけない、

これが的確な表現だと思います。

なぜなら

私が私を自由にすることによって、あなたも自由にならなければいけないのだから。


あなたの自由があって、初めて私の自由がある、とも書き、

それは即ち

あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい

と言い換えました。


恋愛は拘束するものだと私は勘違いしていましたが、恋愛も実はお互いを自由にするものなのです。

なぜなら

恋愛(ただこれは相思相愛に限ります、まぁ、相思相愛じゃない恋愛を恋愛というかは難しい問題ですが)はお互いの愛する気持ちは自由であり、そのお互いの愛する気持ちが一致した時に、その「拘束」をお互いが受け入れる自由を得たのですから。

故に殊更に隣人を愛すること(恋愛ではなく慈愛)は、自由を得たことになるのです。


ただ、難しいのが、その隣人が「自由の概念」を理解しているか?

実はその方が大きな問題であり、それを理解していない、或いは、理解できない隣人は隣人とは呼べないのです。

あなたの周りの隣人はいますか?

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