昨日のブログの追記です。
私が私を不自由にすることによって、あなたにもその不自由を強いるのですから、
という言葉を書きましたが、ちょっと言葉を変えます。
私が私を不自由にすることによって、あなたも不自由にならなければいけない、
これが的確な表現だと思います。
なぜなら
私が私を自由にすることによって、あなたも自由にならなければいけないのだから。
あなたの自由があって、初めて私の自由がある、とも書き、
それは即ち
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい
と言い換えました。
恋愛は拘束するものだと私は勘違いしていましたが、恋愛も実はお互いを自由にするものなのです。
なぜなら
恋愛(ただこれは相思相愛に限ります、まぁ、相思相愛じゃない恋愛を恋愛というかは難しい問題ですが)はお互いの愛する気持ちは自由であり、そのお互いの愛する気持ちが一致した時に、その「拘束」をお互いが受け入れる自由を得たのですから。
故に殊更に隣人を愛すること(恋愛ではなく慈愛)は、自由を得たことになるのです。
ただ、難しいのが、その隣人が「自由の概念」を理解しているか?
実はその方が大きな問題であり、それを理解していない、或いは、理解できない隣人は隣人とは呼べないのです。
あなたの周りの隣人はいますか?
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