私は宗教家として自認しています。
聖書を読み始めて既に10年近く経ちますが、毎日、読むことで、毎日、新しい発見があります。
私は平等の定義を『人はそれぞれ違った思考や才能、個性、個体を持って生まれ、決して同じ思考や才能、個性、個体の人は存在しない故に、決して公平、平等でないそれぞれの違った思考や才能、個性、個体を、公平、平等に活かせる、伸ばせる、許せる寛容な社会なのです。』と定義したのですが、聖書に平等の定義があったので、書き記します。
『今、あなた方の余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなた方の欠乏を補うことになるのです。こうして平等になるのです。「多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった」と書いてある通りです。』(2 コリント 8:14-15)
これは所謂、余裕のある人も欠乏している人も遍く、幸福になることだと思うのです。これも平等だと思うのです。
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