2025年7月16日水曜日

60歳からの手習い

 以前も書いたと思うが現在フルートとピアノをほぼ毎日練習している。

誰かの前で演奏するレベルではないし、誰かの前で演奏する前にくたばるかもしれないが、なんだろ?自分に対する責務なのか?生まれてきた意義を見つけたいのか?練習は続いている。

私はトロンボーンを45年以上続けてそれなりの結果は残せたと思う。

そして、その経験が今のフルートとピアノに生かされていると思う。

私もここまで続くとは思わなかったが、今では、毎日のルーティーンとして、ある意味、義務的に自分に課している感じだ。

そして毎日続けることによって、少しづつ上達していることが、それも、少しづつ解ってきた。

今はyoutubeにアップして演奏を披露する、と言う手段もあるので、それも励みになる。

楽器の練習は絶えず上向きではない。必ず、スランプが訪れる。そのスランプを当たり前だと思えば、途中でメゲルこともないのかもしれない。

「楽器の練習は鈍足でも毎日の継続(10分でも5分でも楽器に触れること)が大事である。」

これは実は私がトロンボーンの先生をしていた時、すべての生徒に教訓した言葉だ!


2025年7月14日月曜日

れいわ新選組一択!

正邪、賢愚、真偽、善悪の判断ができない人間が増えると社会が崩壊するんです。国会で118回以上も嘘をついた下衆を国葬にしたり、その下衆の犯罪を暴露できなかった自民党、立憲民主党の罪は重罪です。故に、正邪、賢愚、真偽、善悪を絶対に間違えないれいわ新選組一択なんです!

『学問は人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重の等差を知る、好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪、善悪の判断を誤らざる大丈夫が出来上がるのが目的である』
【夏目漱石/野分より】

2025年7月12日土曜日

神谷宗幣の詭弁

【記事一部を抜粋】
『神谷氏は「国民主権は大前提で当たり前の話だ。国家の主権が守らなければ、国民主権は守れない。国家主権を書いて、国民主権ではないというのは間違った解釈だ。あれ(=構想案)はたたき台なので、次の案にはちゃんと国民主権と書きますから」と語った。』


国民主権が大前提で当たり前だから憲法に明示しないのであれば、何故、日本国憲法に「国民主権」が明示されていたか?
それは、それを明示しなければ、為政者は簡単に国民の主権を奪うからであり、過去に国民主権を明示していなかった故に独裁政治だの恐怖政治が蔓延していたのです。
それは取りも直さず、国民が主権であることが大前提で当たり前である、と言う論定が、独裁を目論む人間の詭弁でしかない証左なのです。

60歳という年齢

久しぶりのブログ更新です。 実は、書かなきゃ、書かなきゃ、と気になっていましたが、なかなか筆が進みませんでした。 やはり、60歳過ぎると体の彼方此方にガタが来て、朝、起きても腰の痛みやら、関節の痛みやらが抜けない状態です。 これが、60代以降と50代以前の違いでしょう。 60歳を...